6月1日、『第44回 横浜開港祭』にてGirls²、EXPG STUDIO YOKOHAMAを交え『EXILE MAKIDAI presentsスペシャルコラボステージ』が披露された。ステージ終了後、会場を湧かせる圧巻のパフォーマンスを見せた本人を直撃して“直後の感想”をインタビュー。さらに自身の出身地である横浜の魅力や子どものころの思い出、横浜のおすすめスポットについて聞くとMAKIDAIらしいほのぼのエピソードも。染み入るような穏やかな語り口とともに誠実かつユーモラスな人間性に改めて癒され、ほっこりさせてもらった。
盛り上がってましたね。自分が(EXILEを)卒業したあと、世代を超えたコラボの機会があまりなかったんですけど、横浜の開港祭という晴れやかな場でこうして集まれて良かったです。途中ちょっと雨も降ったりしましたけど、Girls²のみんなもEXPGの子たちも全力でパフォーマンスをしてくれて。僕も精一杯できるかぎりのことをやりましたけど、会場の皆さんも温かく遠くのほうまで声が届いていたので本当に最高のイベントだったと思います。
僕はPKCZ®というグループでやらせていただいてますけど、ルーツにあるのはやっぱりEXILEの楽曲。なので、自分がこれまでパフォーマンスしてきた曲たちをPKCZ®流にリミックスしたり、マッシュアップしたものをセットに組みました。プラス洋楽もちょっとトライしてみたんですけど、やっぱり引きがちょっと弱かったんですよね。でも、変な意味ではなく今回のこの場所にはフィットが違っただけなので即座に巻いて、そのあと三代目 J SOUL BROTHERSの「[YOU SHINE]THE WORLD」をかけさせてもらったんですけど、これもDJだからこそできることかなと。そういったことも含めて改めてEXILE TRIBEの楽曲力はすごい市民権を得ているんだなと感じました。
今言ったようにDJだからこそできる座組––––自分が考えたセットだったり、LDHのみんなの楽曲だったり、時には洋楽も含めて僕ならではのライヴといいますか。懐かしい曲もやるけどアプローチの仕方が新しいって思ってもらえるようなことをやっていきたいと思っています。
DJを始めてからずっとそこを目指してきたんですけど、ようやく自分なりの形みたいなものができた気がします。でも、これって自分だけでは成り立たなくて。やっぱりEXPGだったり、ほかのアーティストさんだったり、LDHだからこその絆とつながりがあるからできることなんですよね。
Girls²はイベントで一緒になることはあったけど、直接話したことは正直あまりなくて一緒にリハーサルをしたのは初めてでした。でも、互いの意見をすり合わせながら、僕なりにGirls²だけなら普段やらないだろうなという楽曲を提案しまして。昔の洋楽のカバー曲を入れたんですけど、そういう曲をできるのがうれしいってGirls²も言ってくれて、これも世代を超えた座組だからこそというところで僕自身すごく良かったと思います。あと、リハのときは「Choo Choo TRAIN」を踊ったんですけど、最初はやっぱりみんな緊張していて。でも、“Choo Choo TRAINパワー”じゃないけど、終わるころには全員笑顔になっていてこの楽曲が全部の世代をつないでいるんだと実感しましたし、あとは本当に感謝ですよね。今回はGirls²をはじめ、あのチームだからこそできた舞台だと思っているので。
いやぁ、どうですかね。僕の感覚だとDJで曲をかけるときは自分が生きてきたものが出ますから、あまり気負わず準備しプレーするという感じで、それ以上でもそれ以下でもない。そのうえで僕なりにアドバイスをさせてもらったんですけど、みんなすごく素直に聞いてくれまして。まだ尖っていてもおかしくない年齢なのに真摯に向き合ってリハをしてくれたので僕自身やりやすかったです。どの子もすごくちゃんとしていてJ Soul Brothersのころの自分たちとは比べものにならないです(笑)。
僕は横浜出身で当時はまだランドマークタワーとかができる前ですけど、山下公園なんかもよく行っていまして。同じ横浜出身のÜSAともEXILEになる前のJSB時代から横浜のクラブに行ったり、よく遊んでいた場所なので『横浜開港祭』という大きいお祭りのイベントに声をかけていただけてすごくうれしかったです。
そうです。だから微妙なんですよね。中3までなら堂々と地元って言えるけど中1までって中途半端じゃないですか(笑)。川崎出身のEXILE TRIBEの今市(隆二)とかエリアが近いから共通で知っている場所とかあるんですけど、長くいたのは横浜だし、何と言っても幼少期を過ごした場所なので、一応横浜が地元だと自分では思っていますけど。
じゃあ、そういうことで。“045(横浜の市外局番)”スタイルでいきます(笑)。
私的な感覚ですけど、港町だし基地が近くにあったりするので当時のヒップホップカルチャーみたいなものがすごく反映されていて、早いうちから山下公園でストリートのスケボーとかダンスをやっている人がいたんですよね。あと、横浜のクラブでDJをすると東京でかけるときとは全然違っていて、USでいうところのウェッサイ、西のLAとかカリフォルニアとかの曲がやたらと盛り上がるイメージがあります。海が近いからそういう感覚なのかわからないけど、ファッションとかもウエストスタイル寄りで、以前子どもを連れて横浜に来たらパパさんたちも西海岸テイストのちょっとB-boyっぽい格好の方が多かったんです。なので、音楽もファッションも根づいているものがあると思いますし、カルチャー以外も昔から変わらない独特の街並みといいますか。僕は小さいころ、両親と外国人墓地の近くのレストランに行ったりしたんですけど、そこから見える景観もすごくきれいでそういったすべてが横浜の個性として僕は好きなんですよね。
ちょっとおいしいところですよね。都会だけど東京とはまた違って程よく自然もあるし、都内や中心部のアクセスも良くて住みやすい。昔からセンスのいいスポットも多くて、僕も当時、元町商店街にあったクラブとか埠頭のほうなら『ブッチャーズテーブル』や『ヘブン』っていうクラブによく行っていました。
小学校まで遡っちゃうんですけど、6年生のとき三ツ沢で横浜市全部の小学校が集まる陸上競技大会がありまして。かなり大きな大会で僕は学校代表のリレーの選手に選ばれたんですけど直前に足をケガしてしまったんです。でも、この大会で走る機会はここを逃したら一生ない。そう思ってテーピングを巻いて無理やり第一走者で出場したら、そういう事情を周りが知っていたのかスタートラインに立つと同級生のみんなが「ガンバレー‼︎」ってすごい声援を送ってくれたんです。そしたら足が痛いのと緊張と、あとは高揚していたのかわからないけど、僕、いきなりボディビルダーがやるようなキン肉マンポーズをスタンドに向けてアピールしちゃって。そこでひと笑いとってから走るみたいな(笑)。結果、横浜市で3位になって表彰台に立てました。
でも、1位になったのはリムピ・アップくんっていう子で。印象的な名前だったので今でも覚えているんですけど、彼はハーフで「反則じゃん!」っていうくらいフィジカルがやばかったんですよね。
いや、その子は本当に速かったので無理でした。でも、彼の名前も含めて今でも大会のことを覚えているのは自分の中ですごくいい思い出だったから。横浜にそこまで関係ないエピソードかもしれないですけど、あのときの光景は鮮明に残っているんですよね。
photography_菊地大作
text_若松正子

ステージお疲れさまでした! 怒涛の盛り上がりでしたね。
盛り上がってましたね。自分が(EXILEを)卒業したあと、世代を超えたコラボの機会があまりなかったんですけど、横浜の開港祭という晴れやかな場でこうして集まれて良かったです。途中ちょっと雨も降ったりしましたけど、Girls²のみんなもEXPGの子たちも全力でパフォーマンスをしてくれて。僕も精一杯できるかぎりのことをやりましたけど、会場の皆さんも温かく遠くのほうまで声が届いていたので本当に最高のイベントだったと思います。
テンションを落とさないキャッチーなセットリストもさすがだなと思ったのですが、選曲のテーマは?
僕はPKCZ®というグループでやらせていただいてますけど、ルーツにあるのはやっぱりEXILEの楽曲。なので、自分がこれまでパフォーマンスしてきた曲たちをPKCZ®流にリミックスしたり、マッシュアップしたものをセットに組みました。プラス洋楽もちょっとトライしてみたんですけど、やっぱり引きがちょっと弱かったんですよね。でも、変な意味ではなく今回のこの場所にはフィットが違っただけなので即座に巻いて、そのあと三代目 J SOUL BROTHERSの「[YOU SHINE]THE WORLD」をかけさせてもらったんですけど、これもDJだからこそできることかなと。そういったことも含めて改めてEXILE TRIBEの楽曲力はすごい市民権を得ているんだなと感じました。
終わった直後で気の早い質問ですが、今後はどんなパフォーマンスを展開してきたいですか?
今言ったようにDJだからこそできる座組––––自分が考えたセットだったり、LDHのみんなの楽曲だったり、時には洋楽も含めて僕ならではのライヴといいますか。懐かしい曲もやるけどアプローチの仕方が新しいって思ってもらえるようなことをやっていきたいと思っています。

今日もそういう座組でしたし。
DJを始めてからずっとそこを目指してきたんですけど、ようやく自分なりの形みたいなものができた気がします。でも、これって自分だけでは成り立たなくて。やっぱりEXPGだったり、ほかのアーティストさんだったり、LDHだからこその絆とつながりがあるからできることなんですよね。
ちなみにSNSにGirls²とのリハーサル映像が上がっていましたが、メンバーとのやりとりはいかがでしたか?
Girls²はイベントで一緒になることはあったけど、直接話したことは正直あまりなくて一緒にリハーサルをしたのは初めてでした。でも、互いの意見をすり合わせながら、僕なりにGirls²だけなら普段やらないだろうなという楽曲を提案しまして。昔の洋楽のカバー曲を入れたんですけど、そういう曲をできるのがうれしいってGirls²も言ってくれて、これも世代を超えた座組だからこそというところで僕自身すごく良かったと思います。あと、リハのときは「Choo Choo TRAIN」を踊ったんですけど、最初はやっぱりみんな緊張していて。でも、“Choo Choo TRAINパワー”じゃないけど、終わるころには全員笑顔になっていてこの楽曲が全部の世代をつないでいるんだと実感しましたし、あとは本当に感謝ですよね。今回はGirls²をはじめ、あのチームだからこそできた舞台だと思っているので。
でも、チームをまとめ盛り上げたのはMAKIDAIさんの求心力ですから。
いやぁ、どうですかね。僕の感覚だとDJで曲をかけるときは自分が生きてきたものが出ますから、あまり気負わず準備しプレーするという感じで、それ以上でもそれ以下でもない。そのうえで僕なりにアドバイスをさせてもらったんですけど、みんなすごく素直に聞いてくれまして。まだ尖っていてもおかしくない年齢なのに真摯に向き合ってリハをしてくれたので僕自身やりやすかったです。どの子もすごくちゃんとしていてJ Soul Brothersのころの自分たちとは比べものにならないです(笑)。

やんちゃだったんですね(笑)。ここからはちょっと話が遡ってしまうのですが、横浜開港祭の出演が決まったときはどんな気持ちでしたか?
僕は横浜出身で当時はまだランドマークタワーとかができる前ですけど、山下公園なんかもよく行っていまして。同じ横浜出身のÜSAともEXILEになる前のJSB時代から横浜のクラブに行ったり、よく遊んでいた場所なので『横浜開港祭』という大きいお祭りのイベントに声をかけていただけてすごくうれしかったです。
中学1年まで横浜で暮らしていたんですよね。
そうです。だから微妙なんですよね。中3までなら堂々と地元って言えるけど中1までって中途半端じゃないですか(笑)。川崎出身のEXILE TRIBEの今市(隆二)とかエリアが近いから共通で知っている場所とかあるんですけど、長くいたのは横浜だし、何と言っても幼少期を過ごした場所なので、一応横浜が地元だと自分では思っていますけど。
生まれ育ったなら地元です!
じゃあ、そういうことで。“045(横浜の市外局番)”スタイルでいきます(笑)。
MAKIDAIさんが思う横浜の魅力は?
私的な感覚ですけど、港町だし基地が近くにあったりするので当時のヒップホップカルチャーみたいなものがすごく反映されていて、早いうちから山下公園でストリートのスケボーとかダンスをやっている人がいたんですよね。あと、横浜のクラブでDJをすると東京でかけるときとは全然違っていて、USでいうところのウェッサイ、西のLAとかカリフォルニアとかの曲がやたらと盛り上がるイメージがあります。海が近いからそういう感覚なのかわからないけど、ファッションとかもウエストスタイル寄りで、以前子どもを連れて横浜に来たらパパさんたちも西海岸テイストのちょっとB-boyっぽい格好の方が多かったんです。なので、音楽もファッションも根づいているものがあると思いますし、カルチャー以外も昔から変わらない独特の街並みといいますか。僕は小さいころ、両親と外国人墓地の近くのレストランに行ったりしたんですけど、そこから見える景観もすごくきれいでそういったすべてが横浜の個性として僕は好きなんですよね。
浜っ子が自慢したくなるのもわかります。やはりちょっと特別な場所ですよね。
ちょっとおいしいところですよね。都会だけど東京とはまた違って程よく自然もあるし、都内や中心部のアクセスも良くて住みやすい。昔からセンスのいいスポットも多くて、僕も当時、元町商店街にあったクラブとか埠頭のほうなら『ブッチャーズテーブル』や『ヘブン』っていうクラブによく行っていました。
特に印象に残っている横浜での思い出はありますか?
小学校まで遡っちゃうんですけど、6年生のとき三ツ沢で横浜市全部の小学校が集まる陸上競技大会がありまして。かなり大きな大会で僕は学校代表のリレーの選手に選ばれたんですけど直前に足をケガしてしまったんです。でも、この大会で走る機会はここを逃したら一生ない。そう思ってテーピングを巻いて無理やり第一走者で出場したら、そういう事情を周りが知っていたのかスタートラインに立つと同級生のみんなが「ガンバレー‼︎」ってすごい声援を送ってくれたんです。そしたら足が痛いのと緊張と、あとは高揚していたのかわからないけど、僕、いきなりボディビルダーがやるようなキン肉マンポーズをスタンドに向けてアピールしちゃって。そこでひと笑いとってから走るみたいな(笑)。結果、横浜市で3位になって表彰台に立てました。

すごい。メチャクチャ足の速い子だったんですね。
でも、1位になったのはリムピ・アップくんっていう子で。印象的な名前だったので今でも覚えているんですけど、彼はハーフで「反則じゃん!」っていうくらいフィジカルがやばかったんですよね。
でもMAKIDAIさんも足をケガしてなかったら……。
いや、その子は本当に速かったので無理でした。でも、彼の名前も含めて今でも大会のことを覚えているのは自分の中ですごくいい思い出だったから。横浜にそこまで関係ないエピソードかもしれないですけど、あのときの光景は鮮明に残っているんですよね。
photography_菊地大作
text_若松正子
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